コレクションについて

「中国農村生活模型」とラベルの付された38点の資料が、京都大学総合博物館・地理資料部門に収蔵されている。これらのうち33点の木彫の人形は、1913年に京都帝国大学文科大学地理学講座で購入されたもので、清代末期頃の生活風俗や農作業を生き生きと表す木彫の模型である。模型の大半は、実寸の20分の1くらいの大きさであるが、大きめのサイズのものも混じる。また、木質は同一ではない。農作業や物売りなど、生活風俗を表すものでは、人と道具が組み合わされた形で作られているが、道具だけのものもある。また、非常に精巧なものから素朴なものまで、彫りの技量もまちまちである。これらの他に、布やビーズを用いた劇人形3体と陶製の家屋模型2点が含まれる。2020年春、これら38点すべての資料が、本デジタル・アーカイブで公開された。

デジタル・アーカイブ作成のきっかけの一つは、2019年度前期に田中が開講したILASセミナー「地誌学入門―民族資料に触れて学ぶ」に参加した7名の学生たちと共に行った調査である。もう一つのきっかけは、2019年3月から1年間、招へい外国人学者として、地理学専修に滞在された尹波涛先生の協力がいただけたことである。尹先生から中国文化や風俗に関する貴重な情報や助言を受けながら、共同で調査を進めることができたことを感謝したい。こうした共同調査によって、木彫り人形の多くが上海の土山湾孤児院で製作されたものと類似していることが判明したのは、大きな収穫であった。地理学教室の備品出納簿には、「満洲木彫人形」と記載されているが、竜骨車や物売りの籠に入る魚や筍など、北方のものとは考えにくいものがあった。上海で製作されたものとすると、人形が表現しているのが長江河口周辺地域の文化であることがよく理解できる。だが、前述したように、木彫り人形の大きさや素材、技量等が多様であるため、現時点では、すべての資料が同一工房での作品と判断するのは差し控えたい。

上海の土山湾孤児院は、1864年、イエスズ会のフランス人宣教師Joseph Gonnet(中国名:鄂爾璧)によって建設された。孤児院は、1960年頃に閉鎖されるまで、孤児たちに教育をほどこすかたわら、併設する工房で、西洋画や木彫、彫金、印刷などの技法を教えた。孤児たちが作製したorphans were 工芸品は、教会で使用されたほか、おもに外国人向けに販売された(中尾 2017:7)。土山湾孤児院は、現在、土山湾博物館として一般に公開されている。土山湾孤児院で製作された木彫りの風俗人形は、土山湾博物館には残されておらず、まとまった形で保管されていることが確認できるのは、フランスと日本だけである。フランス人海軍中将Jules le Bigotが1938年に購入した109点の人形は、“Shanghai: scènes de la vie en Chine: les figurines de bois de T'ou-Sè-Wè” (2014) で紹介されている。同書では、資料ごとに、その写真が関連する現地の風俗写真とともに掲載されている。他方、1930年に、天理教第二代管長の中山正善が土山湾孤児院で購入した108点は、現在、天理参考館に収蔵されている。Bigotが購入したものも、中山が購入したものも、大きな木箱に一揃いの人形として収められていた。他に存在が知られているのは、東京の吉徳資料室に収蔵されている同種の木彫り人形10点あまりである。いずれも、1933年に人形屋吉徳の十世山田徳兵衛が満洲で購入したものである(龍野市立歴史文化資料館 2003:62-63)。京都大学所蔵の木彫り人形の数量は決して多くはないが、これらの現存資料よりも20年ほど早い時期に購入されている点で注目される。
木彫りの風俗模型以外のもののうち、布製の人形3体は京劇の役者の風体である。これらと同種のものが、劇人形として吉徳資料室に所蔵されている(龍野市立歴史文化資料館 2003:60)。陶製の建築模型のうち1点は家型の明器(副葬品)、もう1点は、塀と数棟の建物から構成される屋敷模型と考えられる。いずれも、購入記録がなく、入手経路や時期は不明である。

本デジタル・アーカイブで紹介する中国風俗人形の資料としての面白さは、何よりもまず、これらが精巧に作られた立体の模型で、清代末期頃の中国の生活文化の様相を生き生きと表している点にある。農機具や紡織の道具などや家禽が、それを使う人々の動作とともに造形されている。どんなふうに道具が使われたか、家畜飼養が行われていたか、実際の有様がよくわかる。地理学講座が33点で40円60銭という高額な「中国農村生活模型」を購入した際、こうした地域の生活や文化を学習するための視覚教材として利用する意図があったことは確かであろう。
「中国農村生活模型」のもう一つの面白さは、その命名にある。ある生活場面の光景が何であるかを適切な言葉で表現することは、決して容易ではない。類似のタイプであるにもかかわらず、出典資料によって名前が異なるものがある。その理由はいくつも考えられる。たとえば、農作業の道具、作業する人、作業そのもの、いずれに焦点をあてるかによって、名前の付け方が変わる。また、命名する側の文化経験や知識や思い込みが名前の付け方に影響する。「これを何と呼ぶか」の問いは、文化の理解と誤解、また表現されるものの本質をどのようにとらえるかという意識ともかかわる点で、興味深い問題である。本デジタル・アーカイブでは、各資料について確定した名称を提示していない。閲覧する方々が「これは何であるか」と考えることを楽しんでいただけたら幸いである。

「中国農村生活模型」を含めて、地理学教室によって収集された民族資料の整理に着手してくださったのは、端信行先生(国立民族博物館名誉教授)である。端先生のご尽力がなければ、各資料に整理番号が付されることもなく、今回の調査に至ることもなかった。調査に協力くださったのは、吉田大地、池山航一郎、小森大暉、齋藤彩笑、関美乃、松尾潤、石山紀緒美(ILASセミナーを受講した学部1回生)、中尾徳仁(天理参考館)、石塚友(吉徳資料室)、宇佐美文理と木津祐子(文学研究科)、谷井陽子(天理大学)の諸氏である。中国語版のアーカイブ作成では、黄沈黙(文学研究科、博士後期課程)が翻訳を担当した。3D画像を作成し、それらを加えて本アーカイブを構成してくださったのは、星田侑久(NPO法人オープンコンシェルジュ)、夏目宗幸(人間・環境学研究科、博士後期課程)、淺野悟史(地球環境学堂)の方々である。彼らの努力により、「中国農村模型」の立体的な特性を示すデジタル・アーカイブを完成することができた。これらの方々に心より御礼を申し上げる。

このコレクションが広く活用され、教育研究に資することを願っている。また、閲覧してくださった方々からの情報により本アーカイブの遺漏や間違いが訂正され、さらに充実した内容となることを期待している。


2020年3月

田中 和子
(京都大学大学院文学研究科・地理学専修)

尹  波涛
(陝西師範大学中国西部辺疆研究院)


引用文献:
  • Christian Henriot, Ivan Macaux. 2014. Shanghai: scènes de la vie en Chine: les figurines de bois de T'ou-Sè-Wè. (安克強, 伊望 2014.《中國民間生活:上海土山灣孤兒院人物木刻》.)Equateurs.
  • 中尾徳仁 2017. 上海徐家匯で制作された黄楊製風俗人形.天理参考館報、30:5-12.
  • 龍野市立歴史文化資料館 2003.『中国東北部の玩具』(龍野市立歴史文化資料館図録30).